明治三十二年四月から三年間、盛岡の女学校へ通っていた啄木の妻・節子は、女学校時代はバイオリンを習い、また、美しい声で歌を歌う女性でした。ある時、啄木は東京で、節子のためにバイオリンの糸を探して歩いたこともありました。節子の女学校時代の同級生は、もし節子が結婚していなかったなら、東京の音楽学校へ進んだのではなかったか、とも語っています。
そんな節子も生活に追われるうちに、音楽について語ることもなくなっていました。 |
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啄木の前に現れて、去っていった多くの友人もいます。吉井勇もその一人です。
明治四十一年五月、啄木は歌人・吉井勇と出会いました。しかし吉井を空想の人、よくない事を特に誇張する人と批判するようになりました。啄木は「人間は自己にある欠点を他に認めて、そして自己にあることを自認した時、その欠点をひどく憎むものだ」と語っています。明治四十三年秋、吉井の処女歌集が出版されると、啄木は、「他の何人の作にも劣らない」と吉井を再び評価しました。
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