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4月 April
明治28年(1895)  2日 盛岡高等小学校(今の盛岡市立下橋中学校)に入学する。
明治41年(1908)  5日 東京での文学活動をめざし、釧路をたつ。
明治39年(1906) 11日 渋民尋常高等小学校(今の玉山村立渋民小学校)の代用教員になる。
明治45年(1912) 13日 啄木死去。父−禎、妻節子、長女京子、親友若山牧水にみとられる。東京市浅草の等光寺にて葬儀を営む。
大正11年(1922) 13日 「やはらかに 柳あをめる・・・・」、全国初の啄木歌碑が故郷渋民(今の玉山村渋民公園)に建立される。
明治40年(1907) 19日 渋民尋常高等小学校に辞表を提出する。
明治31年(1898) 25日 盛岡尋常中学校(今の岩手県立盛岡一高)に入学する。ここで金田一京助、野村長一(胡堂)、大井蒼梧を知る。



5月 May
明治24年(1891) 2日 渋民尋常小学校(今の玉山村立渋民小学校)に入学する。
明治38年(1905) 3日 処女詩集『あこがれ』を刊行する。
昭和61年(1986) 3日 玉山村渋民で生誕 100年祭を行う。/石川啄木記念館新館が開館する。
明治40年(1907) 4日 故郷渋民を離れ、函館に向かう。
明治41年(1908) 4日 金田一京助の世話で東京本郷の「赤心館」に下宿する。東京生活を始める。
大正 2年(1913) 5日 妻節子、函館にて死去する。
明治38年(1905)12日 堀合節子を妻として入籍する。盛岡市帷子小路(今の盛岡市中央通三丁目の「啄木新婚の家」)に住む。



6月  June

明治38年(1905)  4日 盛岡で節子と新居をかまえる。
昭和18年(1943)  6日 渋民の歌碑を約50メートル移転。北上川浸食で転落の危険が出たため。
明治40年(1907) 11日 函館の弥生尋常小学校代用教員となる。
明治45年(1912) 14日 次女房江生まれる。
明治42年(1909) 16日 函館に残していた妻子らを迎え、住まいを東京・本郷の喜之床2階に移す。
明治45年(1912) 20日 歌集『悲しき玩具』刊行。
明治33年(1900) 23日 回覧雑誌『丁二雑誌』第二号発行。
昭和21年(1946) 23日 渋民で戦後初の啄木祭。
昭和57年(1982) 23日 東北新幹線開業。盛岡駅の駅名標「もりおか」は啄木筆跡の集字。
明治34年(1901) 25日 回覧雑誌『三日月』第三号発行。



7月  July

昭和 3年(1928) 10日 改造社版現代日本文学全集の『石川啄木集』刊行。全集中、最高のページ数。
大正10年(1921) 17日 初の歌碑建設の募金のため、盛岡で文芸講演会開かれる。この歌碑運動をきっかけに、盛岡啄木会結成。
昭和 8年(1933) 23日 盛岡初の啄木歌碑、天満宮に建立。「病のごと思郷のこころ湧く日なり・・・」。
昭和42年(1967) 渋民に旧渋民小校舎を復元。



8月  August
大正15年(1926)  1日

立待岬のいまの墓碑が、親友の宮崎郁雨により建立される。

昭和 5年(1930)  1日

女婿石川正雄、京子夫妻による研究誌「呼子と口笛」の発行始まる。14号で終刊。

明治44年(1911)  7日

小石川区久堅町へ転居。

明治40年(1907) 18日

函館日日新聞社の遊軍記者となる。

昭和60年(1985) 20日

石川啄木記念館起工式。




9月  September

明治38年(1905)  5日 自ら編集人となり、文芸雑誌『小天地』刊行。1号のみで終わる。
明治41年(1908)  6日 下宿を本郷の蓋平館別館に移す。
明治40年(1907) 13日 8月25日の函館の大火で勤め先を失い、札幌へ。北門新報社に勤務。
明治34年(1901) 21日 『繭伎多麻』第一号発行。啄木は翠江の筆名で作品を掲載。