ふるさと探訪



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◆岩手山と渋民公園歌碑
石川啄木が歌い、そして想いつづけた岩手山。その美しくも雄大な山容を間近に仰ぎみる北上川沿いの小高い丘に渋民公園があります。
ここにある啄木の歌碑は全国で一番最初に建てられた歌碑です。
大正11年(1922) 4月13日、啄木没後10年目の啄木の命日に建立されました。碑陰には「無名青年の徒之を建つ」とありますが、これは建立当時の渋民村の青年たちが自らを無名と称して彫り込んだ署名です。
啄木歌碑


◆北上川と姫神山

新しい鶴飼橋 
木製の吊り橋だった鶴飼橋
昔の鶴飼橋
北上川の河畔から周囲を眺めわたすと東の方向になだらかな稜線を空の一点に集めながらもたおやかな印象を与えてくれる山の姿が目に入ります。その山が姫神山です。
そして、北上川には当時は木製の吊り橋だった鶴飼(つるかい)橋があります。この橋を石川啄木は幾度となく行き来し、周囲の山や川に親しんだことでしょう。啄木が“おもひでの山、おもひでの川”と歌い、心の拠りどころとしたふるさとの風景が今もここにあります。


◆常光寺
常光寺
◆宝徳寺
宝徳寺
石川啄木は明治19年(1886) 2月20日、姫神山のふもとの南岩手郡日戸村(今の玉山村日戸)のこの寺で生まれました。父一禎はこの寺の住職であり、母カツとの間に長男として誕生し、名を一(はじめ)と名付けられます。
寺の境内には樹齢約 300年ともいわれる老杉木立があり、その脇には啄木の生涯の友であった金田一京助博士の揮毫(きごう)による啄木の『生誕の地』の碑が建立されています。また、啄木が生まれ、渋民の宝徳寺に転住するまで過ごした部屋が一部復元保存されています。
明治20年(1887) 3月30日、父の転住に伴い、啄木は北岩手郡渋民村(今の玉山村渋民)宝徳寺に移り住みます。啄木はここで多感な少年期を過ごします。
明治35年(1902)10月に盛岡尋常中学校を退学して上京。志なかばで病を得て帰郷し、療養したのもここでした。
ここで啄木は詩「啄木鳥」を、初めて筆名“石川啄木”として発表します。その後、次々に『明星』、『太陽』等に作品を発表し続け、明治37年(1904)10月に再び上京。翌38年(1905) 5月にはついに処女詩集『あこがれ』を出版します。


◆岩手公園(不来方城趾)
岩手公園は旧盛岡城があったところで、盛岡市街の中心部にあり、別名を不来方(こずかた)城趾ともいいます。花崗岩が整然と美しく積まれた石垣だけが往時の姿をしのばせ、今は盛岡市民の憩いの場として親しまれています。
啄木が通っていた当時の盛岡尋常中学校はこの城跡から 200メートルほどのところにありました。
啄木は中学の授業を抜け出してはこの城の高台に寝転び、遠く岩手山や姫神山、そして空を見上げながら文学への夢、恋人節子への想いをめぐらせていました。


◆石割桜

樹齢は約 400年とも伝えられ、巨大な岩を真っ二つに割って立ち、春には満開の桜を咲かせる石割桜。市街地の真ん中にあり、今は周囲をビルに囲まれてはいますが、ここから街道筋を挟んだ向かいの敷地(今の岩手銀行本店あたり)に啄木が通った盛岡尋常中学校(後に盛岡中学校と改名)がありました。中学校で啄木は金田一京助、野村長一(胡堂)、小林茂雄、岡山儀七らの数多くの友、また後に妻となる堀合節子とも出会いました。盛岡での青春時代、生涯で最も輝いていた啄木たちをこの桜は今も記憶しています。
岩手公園
岩手公園
石割桜
石割桜
盛岡尋常中学校
盛岡尋常中学校


◆啄木新婚の家
啄木新婚の家 啄木新婚の家(内風景)
明治38年(1905) 5月。啄木は恋人であった節子と結婚します。
啄木はこの年に待望の処女詩集『あこがれ』を出版したばかりでしたが、父一禎は宝徳寺を罷免されていました。
盛岡市帷子小路(かたびらこうじ=今の中央通三丁目)にはその当時の『啄木新婚の家』が保存されています。今でこそトタン葺の屋根になってはいますが、昔は武家屋敷であっただけに十分な広さに見えます。
しかし、啄木夫妻が使用したのは四畳半の部屋で、隣の八畳間は妹の光子と父母と共有。さらにほかの間借りの家族が同居する新婚生活でした。
(「啄木新婚の家」 TEL.(019)624-2193 開館時間8:30〜18:00 無休)



◆『小天地』発行所跡と富士見橋
富士見橋
「小天地」発行所跡へ続く富士見橋
盛岡の街の美しさを季節ごとに川面に映しだす中津川沿い。市内の上流部、加賀野磧町(かわらちょう、今の加賀野一丁目)に、結婚間もない啄木が2度目に住んだ家がありました。啄木は妻節子とともに文学への夢を紡ぎ、文芸雑誌『小天地』を発行した家です。この雑誌『小天地』は与謝野鉄幹、正宗白鳥、金田一京助らが寄稿し、全国の詩檀からも注目を集めました。しかし、啄木一家の経済的な困窮は打開できず、やむなく一号のみで廃刊になりました。
ここには歩行者専用の小さな橋「富士見橋」があります。この橋の欄干は啄木自らがデザインした『小天地』の表紙のケシの花をモチーフにしており、親柱も歌碑になっています。



◆盛岡天満宮
盛岡の天満宮の狛犬はとてもユーモラスです。怒っているようで、それでいて泣いているかのような顔をしています。その表情は見るものの心を優しくとらえます。
啄木は中学時代から友人たちとともに、盛岡の街を見渡せるこの小高い丘にある神社で遊んでいました。ここには啄木の初めての歌集『一握の砂』の巻頭作品「煙」に収められている歌の碑が3基あります。
狛犬 狛犬



◆盛岡駅前広場
盛岡駅前広場 毎日、さまざまな情報や文化が人々とともに忙しく行き来する盛岡駅。旅の人がその一歩をしるし、喧噪の中にもくつろぎの空間を与えてくれるのが駅前の広場です。その盛岡駅前広場には岩手山の方向に面して「ふるさとの山に向ひて/ 言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな/」の歌碑があります。
そして、その都市の顔ともいうべき駅舎の正面にはひらがなで『もりおか 啄木』の文字。これらの文字は啄木自筆の書簡やノートから集字し、配置したものです。啄木を愛し、多くの詩人を育んだ「もりおか」らしさがうかがわれる空間です。




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