石川啄木は明治19年(1886) 2月20日、姫神山のふもとの南岩手郡日戸村(今の玉山村日戸)のこの寺で生まれました。父一禎はこの寺の住職であり、母カツとの間に長男として誕生し、名を一(はじめ)と名付けられます。
寺の境内には樹齢約 300年ともいわれる老杉木立があり、その脇には啄木の生涯の友であった金田一京助博士の揮毫(きごう)による啄木の『生誕の地』の碑が建立されています。また、啄木が生まれ、渋民の宝徳寺に転住するまで過ごした部屋が一部復元保存されています。 |
明治20年(1887) 3月30日、父の転住に伴い、啄木は北岩手郡渋民村(今の玉山村渋民)宝徳寺に移り住みます。啄木はここで多感な少年期を過ごします。
明治35年(1902)10月に盛岡尋常中学校を退学して上京。志なかばで病を得て帰郷し、療養したのもここでした。
ここで啄木は詩「啄木鳥」を、初めて筆名“石川啄木”として発表します。その後、次々に『明星』、『太陽』等に作品を発表し続け、明治37年(1904)10月に再び上京。翌38年(1905)
5月にはついに処女詩集『あこがれ』を出版します。 |