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		<title>石川啄木記念館公式ブログ</title>
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		<description>★過去記事はカレンダー下の『&lt;&lt;&lt;』からご覧いただけます★</description>
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		<item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=164"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=164</link><title>啄木の応援歌　１２３</title><description>　渋民村の皐月（さつき）は、一年中最も楽しい時である。天下の春を集めて、そしてそれを北方に送り出してやる時である。花といふ春の花は皆この五月に咲き、鳥といふ春の鳥は皆この五月に啼く。山も野も人の心も春の装束をつけて乾坤（けんこん）の笑を湛えるのはこの五月である。【『渋民日記』より】*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*「２」　　　　　　　　　　　　遅ればせながらの桜開花だったがあれよあれよと思う間に満開に・・・・そして中庭の山ツツジもヤマブキも、紅白の桃も石楠花も、我も我もと、まさ</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/20120513142945jpg" target="_blank"><img src="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/20120513142945jpg" width="320" height="238" /></a><br /><span style="font-size:18px">　<b>渋民村の皐月（さつき）は、一年中最も楽しい時である。天下の春を集めて、そしてそれを北方に送り出してやる時である。花といふ春の花は皆この五月に咲き、鳥といふ春の鳥は皆この五月に啼く。山も野も人の心も春の装束をつけて乾坤（けんこん）の笑を湛えるのはこの五月である。</b></span><br /><div style="text-align:right">【『渋民日記』より】</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />「２」　　　　　　　　　　　<br />　遅ればせながらの桜開花だったがあれよあれよと思う間に満開に・・・・そして中庭の山ツツジもヤマブキも、紅白の桃も石楠花も、我も我もと、まさに一気に咲き乱れ、世は「天下の春」である・・・・。この春があるから、北国の人々はあの冬の厳しさにも耐えることができるのかも知れない、と、一人合点しながら、併せて、南方の方々から見れば、いくら県南出身であれ、自分も北国育ちなんだよ、と、言い聞かせてもいる・・・・。<br />（そうだよな、この春が待ちどおしかった・・・・・）<br />　それにしても、今日の岩手山は格別に美しい・・・花々に負けずに、背景をなして堂々と、デンと構えている・・・・。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-05-13T14:26:17+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=163"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=163</link><title>啄木の応援歌　１２２</title><description>渋民村の皐月（さつき）は、一年中最も楽しい時である。天下の春を集めて、そしてそれを北方に送り出してやる時である。花といふ春の花は皆この五月に咲き、鳥といふ春の鳥は皆この五月に啼く。山も野も人の心も春の装束をつけて乾坤（けんこん）の笑みを湛えるのはこの五月である。『渋民日記』より*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*	　　　　　　　　　　　　４月２８日現在で渋民の桜は３分咲き・・・・今年は開花が遅く、記念館の中庭では、一足お先に、といった感じでエゾムラサキツツジが満開に・・・・・この</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/CIMG0075_400.jpg" target="_blank"><img src="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/CIMG0075_400.jpg" width="180" height="240" /></a><br /><span style="font-size:18px"><b>渋民村の皐月（さつき）は、一年中最も楽しい時である。天下の春を集めて、そしてそれを北方に送り出してやる時である。花といふ春の花は皆この五月に咲き、鳥といふ春の鳥は皆この五月に啼く。山も野も人の心も春の装束をつけて乾坤（けんこん）の笑みを湛えるのはこの五月である。</b></span><br /><div style="text-align:right">『渋民日記』より</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*	　　　　　　　　　　　<br />　４月２８日現在で渋民の桜は３分咲き・・・・今年は開花が遅く、記念館の中庭では、一足お先に、といった感じでエゾムラサキツツジが満開に・・・・・この花は昨年の秋にも見事に咲いて多くの人々を楽しませてくれた・・・・感謝・・・・。<br />	今日の天気であれば、桜もすぐに追いつく・・・・そして五月に・・・・啄木が言った天下の春の皐月がやってくる・・・・。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-04-28T10:52:32+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=162"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=162</link><title>啄木の応援歌　１２１</title><description>やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに【歌集『一握の砂』より】*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*「４」　　　　　　　　　　　　４月１３日、今年の啄木忌には１４０名をこえる人たちが、没後百年の、１０１回目の啄木忌を、厳かな中にも、しめやかに、そして和やかに営んでくださった・・・・世紀を越えて愛され続けている啄木・・・・ものすごいことだなー、ありがたいことだなーと感じ入っている・・・。本記念館理事長も挨拶で触れられたが、昨年は百回忌という節目でありながら、あの大震災の</description><content:encoded><![CDATA[<span style="font-size:18px"><b>やはらかに柳あをめる<br />北上の岸邊目に見ゆ<br />泣けとごとくに</b></span><br /><div style="text-align:right">【歌集『一握の砂』より】</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />「４」　　　　　　　　　　　<br />　４月１３日、今年の啄木忌には１４０名をこえる人たちが、没後百年の、１０１回目の啄木忌を、厳かな中にも、しめやかに、そして和やかに営んでくださった・・・・世紀を越えて愛され続けている啄木・・・・ものすごいことだなー、ありがたいことだなーと感じ入っている・・・。本記念館理事長も挨拶で触れられたが、昨年は百回忌という節目でありながら、あの大震災の、言わば直後ということもあり、どうしたらいいものかと考え抜いた・・・余震も続いている・・・・しかしこう言う時だからこそ啄木が鎮魂の意味を持ったり、励ましになったりするのではと考えた・・・今、百回忌を営んでよかったなーと思っている・・・。<br />　啄木忌も過ぎて、今年はすこし遅れ加減だが、北上川の、鶴飼橋周辺の柳もあおみを増してきた・・・明治４０年５月４日、ふるさとを後にした啄木、木造のつり橋、鶴飼橋を渡りながら、啄木は何を予感していたのだろうか・・・・・。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-04-25T13:14:11+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=161"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=161</link><title>啄木の応援歌　１２０</title><description>やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに【歌集『一握の砂』より】*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*「３」　　　　　　　　　　　　校長先生から、私の学校にも来て下さい、とのご案内があり、ありがたく思いながら入学式に参列させていただいた・・・・この小学校は、毎年二月に啄木の生誕を祝う行事として開催されている「啄木かるた大会」で二年連続で函館大会への出場権を獲得していることもあり頑張っているなーと感心もしていた・・・・７名という少ない新入生だが一人一人が堂々と胸を張って入</description><content:encoded><![CDATA[<span style="font-size:18px"><b>やはらかに柳あをめる<br />北上の岸邊目に見ゆ<br />泣けとごとくに</b></span><br /><div style="text-align:right">【歌集『一握の砂』より】</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />「３」　　　　　　　　　　　<br />　校長先生から、私の学校にも来て下さい、とのご案内があり、ありがたく思いながら入学式に参列させていただいた・・・・この小学校は、毎年二月に啄木の生誕を祝う行事として開催されている「啄木かるた大会」で二年連続で函館大会への出場権を獲得していることもあり頑張っているなーと感心もしていた・・・・７名という少ない新入生だが一人一人が堂々と胸を張って入場し、呼名に対しても大きな声で返事ができて、保護者を含む全員が安堵して式場いっぱいに和やかな雰囲気が満ち満ちた・・・・。校長先生の式辞もとても工夫されていた・・・・あらかじめ演壇下にしまっておかれた４色の小箱を一個づつ取り出しながら、この中には「あいさつ」の種が入っています・・・「やさしさ」の種が・・・先生のお話を「よく聞く」種が・・・何事にも一生懸命に「がんばろう」の種が・・・・・。新入生のみならず全員が、次は何だろう、と興味関心を寄せ、いつの間にかお話に引き込まれていって校長先生の意図が達成された・・・校長先生の次の一言もよかった・・・「この種は新２年生が大事に大事に育て、花を咲かせ、立派な種として今日の１年生みんなにプレゼントするものです・・・みなさんも来年立派にプレゼントできるようにがんばりましょう・・・・新入生は全員がこくっとうなずいて納得していた・・・。<br />　中学校畑の自分には、このような決め細やかな配慮に欠けていたかもしれない・・・この校長先生のような行き届いた配慮があったら、いわゆる中学校の「荒れ」なんて、経験しなくてすんだのかもしれない・・・・。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-04-12T13:43:26+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=160"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=160</link><title>啄木の応援歌　１１９</title><description>やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに【歌集『一握の砂』より】*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*「２」　私にとっての柳についての思い出は、春の彼岸の頃、おふくろに言われて、ふるさとの方言で「ベゴッコ」と呼んだネコヤナギを、毎年同じ川辺にとりに行ったこと・・・・仏壇に供えるためだが、人生でもっとも悲しかったことは、子どもを亡くしたこと（私にとって写真でしかみたことのない二人の兄貴）と言っていたおふくろの気持ちを感じとっていたか、はたして・・・・同じく方言で「バッケ」</description><content:encoded><![CDATA[<a href="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/tsurukai.jpg" target="_blank"><img src="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/tsurukai.jpg" width="320" height="214" /></a><br /><span style="font-size:18px"><b>やはらかに柳あをめる<br />北上の岸邊目に見ゆ<br />泣けとごとくに</b></span><br /><div style="text-align:right">【歌集『一握の砂』より】</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />「２」<br />　私にとっての柳についての思い出は、春の彼岸の頃、おふくろに言われて、ふるさとの方言で「ベゴッコ」と呼んだネコヤナギを、毎年同じ川辺にとりに行ったこと・・・・仏壇に供えるためだが、人生でもっとも悲しかったことは、子どもを亡くしたこと（私にとって写真でしかみたことのない二人の兄貴）と言っていたおふくろの気持ちを感じとっていたか、はたして・・・・同じく方言で「バッケ」と言ったフキノトウもいっぱい出ていた・・・・・。又、ふるさとでは、町の真ん中で５の付く日に市が立っていて、その真ん中にあった大きな枝垂れ柳の木・・・・見事な柳なのだが、真夜中に、３遍廻ると幽霊が出る、と姉たちから聞かせられていて、とってもおっかない、と思っていた・・・・かなり前に切られてしまって、そこに柳の木があったことさえ知らない人の方が多い・・・・・。そして、かの地の、運河周辺の水際や風車に続く道端、街路樹としても、かの国中にふんだんな柳の木・・・・柔らかな木質もあって、かの地で有名な特産のあの木靴は、この柳で作られている・・・・。<br />　帰国して最初の赴任地、渋民の中学校の入学式の式辞の冒頭でも、「やはらかに柳あをめる」・・今日の佳き日に・・・・と使わせていただいた・・・・３月末に帰国して、啄木のふるさとの中学と知らされて・・・・４月早々の入学式・・・恐れ多いとは思ったが、１号歌碑のすぐ近く、柳あをめる北上川辺に立つ学校に奉職できる・・・その重みをかみしめていた・・・・・。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-04-04T13:45:19+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=159"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=159</link><title>啄木の応援歌　１１８</title><description>やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに【歌集『一握の砂』より】*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　３月・・・卒業のシーズン・・・・私は渋民中学校在職中の式辞の冒頭に「やはらかに柳あをめる」を使わせていただいた・・・・当地の季節感覚からは寒さや雪の残量から、少し早いなあ、という感じもあったがもうそこまで春が来ていると言いたかった・・・・。よく、氷がとけたら何になる、という問いに・・・・水・・・・ではなく、春・・・氷がとけたら春になるんだよ、と笑い話風に言われることが</description><content:encoded><![CDATA[<span style="font-size:18px"><b>やはらかに柳あをめる<br />北上の岸邊目に見ゆ<br />泣けとごとくに</b></span><br /><div style="text-align:right">【歌集『一握の砂』より】</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />　３月・・・卒業のシーズン・・・・私は渋民中学校在職中の式辞の冒頭に「やはらかに柳あをめる」を使わせていただいた・・・・当地の季節感覚からは寒さや雪の残量から、少し早いなあ、という感じもあったがもうそこまで春が来ていると言いたかった・・・・。よく、氷がとけたら何になる、という問いに・・・・水・・・・ではなく、春・・・氷がとけたら春になるんだよ、と笑い話風に言われることがあるが、北国の人々の春待つ心と春に向う気持ちを、なんとなく、表現しているとも思える・・・夢もある・・・・。<br />　卒業には涙がつきものか・・・・来賓として参列する式には、現職時代とはまた違った涙があることに気が付く・・・中学校には中学校なりの、小学校には小学校なりの感動の涙・・・私は年をとったせいか（孫かわいがりが強いせいか）、校長先生から授与された卒業証書を、それぞれ待ち受ける両親（又は父母）におじぎをしながら手渡す小学校の卒業式のシーンには、（父母の涙を見てしまえばなおさらに）もうたまらなかった・・・。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-03-25T16:21:35+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=158"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=158</link><title>啄木の応援歌　１１７</title><description>［写真］「桜ライン３．１１」植樹の様子病のごと思郷のこころ湧く日なり目にあをぞらの煙かなしも【歌集『一握の砂』より】*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　あの大震災から一年目の日の午前、私たちはふるさとの、西側山沿いのある津波到達最高地点にいた・・・私たち、とは、昭和２０年（度）生まれ、太平洋戦争終結の年に生まれたことから、高田終戦子同級会と称して、３３歳、４２歳の厄年など節目節目には全国から集まって、恩師を囲み、旧交を温め、励まし合って生きてきた同級生仲間・・・。陸前高田市の津</description><content:encoded><![CDATA[<span style="font-size:12px">［写真］「桜ライン３．１１」植樹の様子</span><br /><a href="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/CIMG0074_400.jpg" target="_blank"><img src="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/CIMG0074_400.jpg" width="320" height="240" /></a><br /><span style="font-size:18px"><b>病のごと<br />思郷のこころ湧く日なり<br />目にあをぞらの煙かなしも</b></span><br /><div style="text-align:right">【歌集『一握の砂』より】</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />　あの大震災から一年目の日の午前、私たちはふるさとの、西側山沿いのある津波到達最高地点にいた・・・私たち、とは、昭和２０年（度）生まれ、太平洋戦争終結の年に生まれたことから、高田終戦子同級会と称して、３３歳、４２歳の厄年など節目節目には全国から集まって、恩師を囲み、旧交を温め、励まし合って生きてきた同級生仲間・・・。陸前高田市の津波到達最高地点に桜を植えて、後世の津波警鐘に役立てようという趣旨で結成され活動を開始している会「桜ライン３．１１」のセレモニーに参加しようと駆けつけた・・・・こんな遠い所まで到達したのかと、今更ながらに驚愕しながら集合場所へ・・・・数張りのテントが張られた会場には既に２００名を超える参加者がおり、さらにどんどん増えてくる・・・・受付で知ったことだが、愛知や福井など遠隔地からのボランテアも参加している・・・。集まった多くの報道関係者の中にスイスから来たという外国の人もおり関心の高さが伺われて、全国の終戦子同級生からの賛助金と共に私たちもこのプロジェクトに加わってよかったなあと再認識・・・・。実行委員のメンバーは大半が私たちの年齢の半分ほどの若者たち・・・・後世畏るべし、と、何とも嬉しい頼もしさを感じた・・・・。<br />　海外での勤務を経験したせいか私は、外国の人には懐かしさを感じたりするが、たまたま話し合いになったスイス人記者に、どうして桜なのか、と聞かれて、私たち日本人は常に美しく潔く生きたいと思っている・・・桜はその象徴なのだ、と答えた（つもりだ）が・・理解してくれたのか・・・・確かめるすべもない・・・・・。<br />　桜がラインをなして咲く頃までには、どれくらいの時間がかかるのか、私などはその情景をみることはとてもできないと思えるが、いつの日にかきっと、と、息長く見守っていくべきことと思う・・・・・。<br />　この日、歩く先々でお線香とともに供えられた花々に出会い、私たちは無言のまま、合掌を繰り返していた・・・・いと疾し、一年・・・・・。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-03-20T10:46:45+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=157"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=157</link><title>啄木の応援歌　１１６</title><description>［写真］３月１４日朝の姫神山（記念館職員撮影）かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川【歌集『一握の砂』より】*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*「２」　　　　　　　　　　　　　「兎（うさぎ）追ひしかの山　子鮒（こぶな）釣りしかの川　夢は今もめぐりて　忘れがたき　故郷（ふるさと）」・・・・作詞　高野　辰之　作曲　岡野　貞一　によるこの歌は文部省唱歌として大正３年に発表された・・・以来、同級（窓）会等いろいろな会合の最終場面での定番として涙ながらに歌われてきた・・・・ふる</description><content:encoded><![CDATA[<span style="font-size:12px">［写真］３月１４日朝の姫神山（記念館職員撮影）</span><br /><a href="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/CIMG0071-400.jpg" target="_blank"><img src="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/CIMG0071-400.jpg" width="320" height="210" /></a><br /><span style="font-size:18px"><b>かにかくに<br />渋民村は恋しかり<br />おもひでの山おもひでの川</b></span><br /><div style="text-align:right">【歌集『一握の砂』より】</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />「２」　　　　　　　　　　　　<br />　「兎（うさぎ）追ひしかの山　子鮒（こぶな）釣りしかの川　夢は今もめぐりて　忘れがたき　故郷（ふるさと）」・・・・作詞　高野　辰之　作曲　岡野　貞一　によるこの歌は文部省唱歌として大正３年に発表された・・・以来、同級（窓）会等いろいろな会合の最終場面での定番として涙ながらに歌われてきた・・・・ふるさと　と言えば、日本人の多くはこの歌を、そして啄木の望郷歌を連想する・・・・この度の大震災は、これらの歌が繰り返し歌われているように、日本人にもう一度ふるさとの大切さを想起させてはいまいか・・・・・「如何に（いか）にいます　父母　恙無（つつが）なしや　友がき　雨に風につけても　思ひ出（い）づる　故郷」・・・「志（こころざし）を　はたして　いつの日にか　帰らん　山は青き　故郷　水は清き　故郷」・・・・。<br />　私の場合、山や川に加えて、どうしても海がふるさとの情景・・・・あの日から一年目のふるさとの海は、こともなげにたゆたっていた・・・・・。<br />　二時四十六分、悲しげなサイレンの響きの中で・・・海に向って・・・黙祷・・・・・。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-03-13T15:08:16+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=156"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=156</link><title>啄木の応援歌　１１５</title><description>［写真］３月７日朝の岩手山（記念館職員撮影）かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川【歌集『一握の砂』より】*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　この一年ぐらい「故郷」の歌が歌われたことがあったのだろうか・・・・「兎（うさぎ）追ひしかの山、子鮒（こぶな）釣りしかの川・・・・」・・テレビやラジオで何度も何度も繰り返し流されて・・・・そして、この歌を聴くとどのような時にでも厳粛な気持ちになり、思わず涙ぐんでしまう・・・。　正月に帰省した、都会住まいの娘夫婦と二人の孫たちに、</description><content:encoded><![CDATA[<span style="font-size:12px">［写真］３月７日朝の岩手山（記念館職員撮影）</span><br /><a href="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/20120307085430jpg" target="_blank"><img src="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/20120307085430jpg" width="320" height="238" /></a><br /><span style="font-size:18px"><b>かにかくに<br />渋民村は恋しかり<br />おもひでの山おもひでの川</b></span><br /><div style="text-align:right">【歌集『一握の砂』より】</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />　この一年ぐらい「故郷」の歌が歌われたことがあったのだろうか・・・・「兎（うさぎ）追ひしかの山、子鮒（こぶな）釣りしかの川・・・・」・・テレビやラジオで何度も何度も繰り返し流されて・・・・そして、この歌を聴くとどのような時にでも厳粛な気持ちになり、思わず涙ぐんでしまう・・・。<br />　正月に帰省した、都会住まいの娘夫婦と二人の孫たちに、いくらかでも田舎の雰囲気を味合わせたい思いのひとつとして廊下につるした新巻サケ、下ろして切り身にしながら孫に話した・・・・サケは数年間太平洋を回遊して（泳いで）必ずふるさとの川に戻って来るんだよ・・・・<br />小学５年の孫が言った・・・「ジイジ、どうしてふるさとに戻るんだ・・・・」産卵のため、とか何とか答えながら、なんとなくドギマギしていた・・・・。<br />　いまだに、どう返答したらよかったのか、迷っている・・・・。　　　　　　　<br />　間もなく３月１１日・・・・・当日のふるさとの合同の儀式に、帰ってこようと思っている。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-03-06T13:20:39+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item><item rdf:about="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=155"><link>http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/index.php?eid=155</link><title>啄木の応援歌　１１４</title><description>［写真］東日本大震災前の高田松原の風景（高田松原を守る会会報第１号より）いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ【歌集『一握の砂』より】（高田松原に建立された歌碑の歌）*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*「２」　明治三十三年、盛岡中学三年の時、担任の富田小一郎先生に統導されて、啄木が級友たちと三陸への修学旅行を行った際に、高田松原に立ち寄った・・・そのゆかりを大切にする人々の意思が結集されて、二度に渡り松原地内に啄木歌碑が建立された・・・・最初の歌碑は昭和三十五</description><content:encoded><![CDATA[<span style="font-size:12px">［写真］東日本大震災前の高田松原の風景（高田松原を守る会会報第１号より）</span><br /><a href="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/CIMG0069_400.jpg" target="_blank"><img src="http://www.takuboku.com/cp-bin/blog/pic/CIMG0069_400.jpg" width="320" height="240" /></a><br /><span style="font-size:18px"><b>いのちなき砂のかなしさよ<br />さらさらと<br />握れば指のあひだより落つ</b></span><br /><div style="text-align:right">【歌集『一握の砂』より】<br />（高田松原に建立された歌碑の歌）</div><br />*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*　*<br />「２」<br />　明治三十三年、盛岡中学三年の時、担任の富田小一郎先生に統導されて、啄木が級友たちと三陸への修学旅行を行った際に、高田松原に立ち寄った・・・そのゆかりを大切にする人々の意思が結集されて、二度に渡り松原地内に啄木歌碑が建立された・・・・最初の歌碑は昭和三十五年のチリ地震津波で流されたが奇跡的に発見されて氷上山麓の氷上神社境内に移設されている・・・二度目は再度松原地内に立てられたが今回の大震災で所在不明のままになっている・・・・海中のどこかで鎮魂の祈りを捧げているのかもしれない・・・・先日の高田訪問はこのような歌碑に思いを寄せながらのものであったが・・・・用務が済んで帰路に着く前に同行者と共にあの「奇跡の一本松」を目の当たりにしたくて車を降りて歩み寄って行った・・・・・カメラを手にした同行者は一直線に松に向ったが、私は左前方にバットを見出して何となくそちらに惹かれて近寄った・・・根っから野球好きの私・・・・野球バットに手をかけようとすると、開かれた小型名刺ホルダー風のものが目に入った・・・・思わず拾ってみると数枚の診察券がホールドされてありドロに汚れた中にカタカナの人名が読み取れた・・・なんと今回の津波の犠牲になった親戚の名前・・・同姓同名もある、カタカナでは・・・と思いながら他のカードをよく見たら奥さんの名前がある・・・血のつながった親戚・・・・まちがいない・・・会長を務める旦那さんが自らの自治会館の様子を見に行って犠牲になったと聞いていた・・・・・彼とは同じ職場に勤務したこともある、高校の先輩でもある・・・・・あの大津波で松も砂浜も流された跡地に残されてあった・・・・瓦礫集積場からさほど遠くはないが・・・・こんなことがあるのだろうか、と思わずにはおれなかった・・・・同行者は、今日は、高田に来ることになっていたんだネ、と言った・・・・。<br />　さっそく奥さんが居る仮設団地を探してもらって、帰路沿いにあることが判明、同行者にも手伝っていただき住まいする一戸を見つけ、奥さんに届けることができた・・・・仏壇の彼の遺影の前に供えて・・・涙ながらに話す奥さんの言葉、みんな流されてしまった、これが形見になる・・・・ズッシリと重く心に響いた・・・・。<br />　啄木の歌碑のお蔭かもしれない。<br /><span style="font-size:12px"><div style="text-align:right">［筆］石川啄木記念館館長　菅原壽　（陸前高田市出身）</div></span>]]></content:encoded><dc:subject /><dc:date>2012-02-26T10:26:26+09:00</dc:date><dc:creator>記念館</dc:creator><dc:publisher>Blog</dc:publisher><dc:rights>記念館</dc:rights></item></rdf:RDF>
