啄木の応援歌 110

波もなき二月の湾に
白塗りの
外国船が低く浮かべり

【歌集『一握の砂』より】

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 早くも二月・・・先月から続く真冬日・・・水道の凍結等、厳しい寒さが先ず語られる今年の冬だった・・・が、ついにやって来た大雪、ひょっとするとこのまま・・・記念館中庭の雪かきの苦労の少ないままに暖かさがやってくるのではないか、という淡い期待も吹っ飛んで、「やっぱり降るくらい降るんだ」と顔を見合わせての長嘆息・・・・。
 北海道の真冬の海と言えば私は流氷を連想する・・・・が、私は真冬の北の大地を旅したことがなく、流氷をみたこともない・・・北の大地の海全体に氷が流れ着くとは思ってはいないのだが何故か流氷・・・南の海に漂着するのは椰子の実で、北の海には流氷と、勝手に思い込んでいるのかも知れない・・・そして、勝手に詩的なものを感じているのかも知れない・・・・。
 ふるさとの海に外国船を見た記憶はない・・・船と言えばサッパ船程のものだったと思う、いや、湾口右側に、確か福伏(ふっぷし)と言った所に石灰岩の積み出しに来る黒船があった、(岩を砕く発破の音も聞こえた)・・・そして、時期が来ると湾内の長部漁港から遠洋マグロ漁に隊列を組んで出て行く船もいた、(が、かなり前に漁そのものが取りやめになったと聞いた)・・・そう言えば、遠く沖を行き交う船を眺めていて、少し目を離すと意外と進行していることに気が付いて妙に感心したこともあった・・・おっと、船ではないが、広い砂浜に滑走路があって、魚群探知等の為に小型飛行機が発着陸していたこともあった・・・・啄木の厳冬の北の漂泊の中から発露した歌を詠みながら、いつの間にか、想いはふるさとの海を巡り始めた・・・・。
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

05/Feb.Sun 2012 11:30 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 109

何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝晴れて風無し。
   
【歌集『悲しき玩具』より】

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「3」
 1月31日付け「天声人語」に、高田松原を守る会会長鈴木善久氏の、新年への抱負を述べた一文が載っていた。「希望、勇気、励ましを与え続けてくれた一本松にありがとうを言いたい。復興に向けてがんばれるいい年であってほしい。」・・・・まさにそのとおりであり、奇跡の一本松の勇姿に接した(直接に限らず)全ての人の気持ちを代弁している・・・・。鈴木善久氏と書いたが、私にとっては、一級先輩ではあるが、ふるさとを共有し同じ小中学校で学んだ幼なじみであり、更に、母校の中学校で同時期に、机を並べて奉職し、ともに汗をかき、ともに喜び、そして熱く議論した善久(ぜんきゅう)さんである。二人とも口に出しはしなかったが、母校で、ふるさとの後輩との教育活動にまみれることができる幸せをいつも感じていた・・・・各種大会で自分たちも歌った応援歌を、また後輩たちとともに歌えるなんて、それだけで涙もの・・・しかもぜんきゅうさんは、母校の中学校長として教職を全うされた・・・こんなうらやましいこともない・・・・。正直に言って、まじめすぎ、堅物すぎる、と、すぎ、の部分を感じないこともなかった、が、尊敬していた・・・・何も、全国紙に取り上げられたから、ではないが、身を粉にし、泥まみれになってボランテア活動に精を出すぜんきゅうさんの姿と相俟って、ぜんきゅうさんが、やたら大きく見えてきている・・・・・。
 「天声人語」欄末の歌と一行も大きな応援歌だ・・・・・「元旦の旦という文字さながらに小笠原の海に初日昇りぬ」―水平線から陽はまた昇る。
 (ぜんきゅうさんガンバレ・・・例によって、勝手な後輩より・・・。)
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

01/Feb.Wed 2012 10:14 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 108

不取敢(とりあえず)机を据えたのは六畳間。畳も黒い、障子の紙も黒い、壁は土塗りのまゝで、云う迄もなく幾数十年の煤(すす)の色。例には洩れぬ農家の特色で、目に毒な程焚火の煙が漲(みなぎ)っている。この一室は、我が書斎で、又三人の寝室、食堂、応接室、すべてを兼ぬるのである。あゝ都人士は知るまい、かゝる不満足の中の満足の深い味を。
【「渋民日記」明治三十九年三月四日 より】

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 萱葺き屋根のふき替えや土台の補修等の、旧斉藤家の工事が成って、明けて丸一年・・・・せっかく多くの先人たちの努力で保存され、盛岡市の援助でもって修復されたこの文化財、啄木が止宿したという啄木ゆかりのみならず、藩政時代の宿場の民家としても貴重な建造物であるとされるが故に、必要とは分っていても「燻蒸」には慎重の上にも慎重に取り組んできた(煙でいぶして萱の強化や虫除けになっても家そのものを焼いてしまっては・・・)・・・・幸いにも?あの年末年始の豪雪・暴風で倒れた松があり、それを切り割りして薪にして、このごろは週に4日は燻蒸に取り組んでいる・・・囲炉裏で火を焚くのでは火の粉が天井にまで届くのでは、との心配があり、かまどを利用し、煙突もそれなりの工夫をし万全を期している・・・。畳と障子は真新しくなり、啄木の時代とは違っているが、梁も壁もそのままで、そして徴兵検査の帰りに、十数キロの道を歩いて帰り、疲れてはいつくばうようにして昇った階段も黒光りして保存されている・・・かかる不満足の中の満足の深い味と啄木は言っているが、私も充満した煙の風情、カマから立ち上る白い湯気、そして焚き火のかまりっこ(香り)がたまらなく好きである・・・・・。
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

22/Jan.Sun 2012 13:16 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 107
【画像】斉藤家に飾られた水木団子

いつの年も、
似たよな歌を二つ三つ
年賀の文に書いてよこす友。
   
【歌集「悲しき玩具」より】

 今年は賀状を書いたらいいものか、と迷っている内に時が流れ、正月になってから、意を決して書き始めた・・・・が通常の文言は書けなくて、「絆・ふるさとは負けない」とだけ書いてお許しいただいた・・・。
 2日には、広田の教え子たちによる「灯篭流し」に参列、灯篭代わりに、花束をふるさとの海に流して、犠牲になった同級生の鎮魂慰霊の儀を執り行った子どもたち(四十二歳の厄年を越えているが)の心根に打たれ、共に涙して・・・。
 5日、7日、9日、11日と新年交賀会・・・・早くも今日は小正月・・・前を、上を向いて、一歩でも前進! との願いを込めて、女性職員が心をこめて作った水木団子の小正月様を飾って・・・みんなの願い、前へ。
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

17/Jan.Tue 2012 10:19 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 106
【画像】斉藤家入口に飾られたミニ門松

何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝晴れて風無し。
   
【歌集「悲しき玩具」より】

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「2」
 一汗かいてさっぱりしたくて、いつもの山道を越えていつもの温泉に向った・・・雪道ではあるが慣れた道という油断があったか・・・・深雪にハンドルを取られ、左側両輪が側溝の深みにはまってしまった・・・妻に電話したら、それみたか、というような雰囲気ながら事故対応の会社への電話などを助言してくれたが・・・後方から若いカップルの車がやってきて側面に止め、窓を開け話しかけてくれた・・・ロープ持ってますか、いや、じゃ、近くにおじがすんでいるのでロープがあったら戻って引いて見ますから・・・そのうちに側面を下り降りた別の車が止まり、ロープを取り出して引いてくれた・・・私はバックするかたちで対応し二度三度トライしたがタイヤが空回りしてうまくいかず・・・やがて、上方から先程の車がロープを持ってやって来て、今度は登り前方に引いてくれた・・・脱出成功!・・・おじさんらしい方も一緒に来て、下り方行から引いてくれた若者たちと一緒になって私の車の後押しをしてくれた・・・・。私は、ただただありがたくて、車の前後に行ってお礼しようとしたが、私が名乗るよりも先に、当然のことをした、という風な感じで、2台とも去って行った・・・私は、両方向に向って、手を合わせるしか無かった・・。自宅からさほど遠くないこともあり、妻も駆けつけて来て・・・いかにも、ビールを美味しく飲みたいがために、と、私の魂胆を見透かしているかのごとく・・・。
 元日の夕方のことである。
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

15/Jan.Sun 2012 11:43 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 105

年明けてゆるめる心!
うつとりと
来し方をすべて忘れしごとし。

【歌集『悲しき玩具』より】

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 前年の年末年始とは違って、穏やかに明け暮れている正月の日々・・・元日には滝沢・鬼越蒼前神社にお参りし、チャグチャグ馬子の歓迎を受けた・・・美しい衣装が白雪に一層映えて、すがすがしい鈴の音が社に響く・・・意外と骨太い足腰と対照的にあくまでも優しい馬子の瞳、馬上の子どもの瞳も澄みわたり、雰囲気全体が凛としていて、新春を壽ぐにふさわしい・・・・。ポニーの馬子は愛くるしさそのもの・・・やがて昇ってきた日ざしの柔らかさも相俟って、心は、「今年はよい事あるごとし」に充ちていた・・・。
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

08/Jan.Sun 2012 9:16 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 104

何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。
     
【歌集「悲しき玩具」より】

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 立ち木がボッキリと折れ、あるいは暴風豪雪に耐えかねてバタバタと倒れた年末年始の猛烈な嵐・・・・思えばあれが「今年」−平成二十三年、2011年を暗示するものだったのか・・・正月二日には、四十二歳の厄払い祝宴に招待され、飲み食い笑い、心ゆくまで話し合って、再会を誓い合ったふるさとの教え子たちとの楽しかった交流があり・・・その歳祝いを実行委員長としてリードしてくれた教え子、会場の海浜センター、宿泊したホテルから眺めたふるさとの海、白砂青松、朝焼けさえも・・・ふるさとが・・・みんなみんな流されてしまった・・・・三月十一日。
 あの日からの時の流れの早かったこと・・・想定外、未曾有、壊滅的、などの言葉を繰り返し聞きながらの日々、何かしなければ、との思いだけが空回りして過ぎ去った・・・やれることをやっていこう、と、ささやかながらボランテアを心がけてはいるが・・・。
 仕事始めた・・・サンマがあがった・・・娘の分も生きる・・・励まさなければならない自分が、やがて届き始めたこれらの文言に逆に励まされて・・・・。
 残り数日の「今年」、とんでもないことが、これ以上のない悲しいことが起きた「今年」のことを、永遠に語り継ぐことを誓ってかみしめて過ごそう・・・行く年、来る年・・・
・・・素晴らしい年でありますように!
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

27/Dec.Tue 2011 16:03 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 103

わが村に
初めてイエス・クリストの道を説きたる
若き女かな
     
【歌集『一握の砂』より】
     
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 かの地のサンタクロウスは(シント・ニコラスと発音するが)、北国からトナカイの引く橇に乗ってやってくるのではなく、スペインから黒人(ムーア人)の少年をお供に連れて船に乗ってやって来る・・・・11月の第3日曜日に、12月5日のサンタの日に間に合うように(12月25日までも続く)早々とアムステルダムに上陸し国中を回る・・・なぜスペインからか・・・定かではないがスペインはかっての宗主国だから・・・我々が子どもの頃に、蒙古が来る(地方によって蒙古の表現が違うようだが)、と言って怖がらせられたような、言わばなまはげのような意味合いもある・・・お供の少年がなかなかのいたずら好きで、悪い子にはいたずらもする・・この時期子どもたちはみんないい子になる・・・キャンデーやクッキーがもらえなくなるから・・・・大人も子どもも楽しみにして待っていることにはかわりが無い・・・・街中はいっせいにクリスマスデコレイションで華やかになって・・・。
 私が住んだロッテルダム郊外・・・運河沿いの家々の大きな窓辺に、(かの地の国民性を象徴するひとつと言える、カーテンなしの)飾られるクリスマスツリーの美しいこと・・・やがて凍る運河の、水面に映えるイルミネーションのきらめきの中で、長いクリスマスシーズンの夜がふける・・・・・。
Merry X’ mas !

[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

24/Dec.Sat 2011 14:54 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 102

「学制の整備という点に於ては、種々非難すべき問題も少なからずあるけれども、ともかく日本は東洋一である。然し、学制の完全不完全は、人間を教育するという大問題を論ずる際に当たっては、決して重大なる事ではない・・・・・真の人と真の精神とあれば、他に何ものが無くても立派な教育は出来る。もしそれ完全な教育学と学制とがあっても、それを活用する「人」が無ければ、一切のものが無いよりもまだまだ危険な結果に陥る。」
【「林中書」より(盛岡中学校校友会雑誌第九号・明治四十年)】

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 「教育は人なり」とよく言われる・・・。藩校や寺子屋などの教育を通じて、明治五年の学制(太政官布告として公布)発布以前も日本の教育レベルは相当なものだった・・・加えて明治政府の推し進める近代化の中で教育は重点施策の一つとして取り組まれていた・・・・「富国強兵」「殖産興業」を支えるものとして・・・・啄木のふるさとでも明治六年にはさっそく宝徳寺に渋民尋常小学校が開校している・・・。啄木が生まれる二年前の明治十七年には、待望の校舎が完成した(啄木記念館中庭に移築復元されている)・・・教育を大事にした全ての村民の意志の結集・・・。国レベル、地方レベル双方において、先人はえらかったなーと、朝な夕なに校舎を廻っては、連子格子(れんじこうし)・障子窓からの光の中にある教室と木製の机・いすを見ては、つくづく感じ入っている・・・・。
 学齢一年前に小学校に入学し、神童と言われる程の成績で卒業後、盛岡の高等小学校、旧制盛岡中学校というエリートコースを歩んだが、中退という一種の挫折経験を経ながらも己の信ずる道をひたむきに追い求めて生きた啄木・・・教師として必要とされるセンスにおいても非常に豊かなものを持っていた・・・・そして、本質を見抜いている・・・。
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

18/Dec.Sun 2011 12:47 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
啄木の応援歌 101

「聊(いささか)感ずるところあって、十月一日から、自宅で朝読をはじめた。男女二十人ばかりの生徒が、夜のまだ明け放れぬ頃から、我先きにと集まってくる。この一事だけでも、この朝読が善良な感化を与えている事がわかる。尤も(もっとも)自分は大抵暗いうちから彼等に起こされる。夜おそく寝た時などは、随分辛い事もあったが、しかし、彼等の心―――清い、尊い心に想い至ると、予はある感謝の念に胸を一杯にしながら、蹴起(しゅうき)せざるをえなかった。」
【渋民日記・明治39年より】

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 朝読書に取り組む学校が増えていると言う話を聞いて、いいことだなあ、 と嬉しい気持ちになった・・・・啄木の時代とは違う・・・・情報源が多種多様になっている・・・・とは言っても、読書を通じて得ることができるものの大きさはあまり変わりないのでは・・・・しかも、それを仲間と共有できるとなれば尚更素晴らしい・・・・。
 記念館に勤務することから多くを学んでいる・・・啄木の読書量の豊富さ、それもその一つだが、トルストイ、ツルゲーネフ、ショウペンハウエル、ニイーチェ、ワーズワース、テニソン・・・・国禁の書にいたるまで・・・・和洋問わず、その圧倒的な量の多さに感服せざるを得ない、しかもあの若さ・・・ワーグナーについては深く鋭い研究を新聞紙上に発表している・・・。量の大きさは質の高さをうみだすのではないか・・・詩にしても手紙にしても・・・それにしてもあの語彙の豊富さ・・・読む量の大きさは、書くことの量と質の高さをもうみだしている、と思える・・・・
 圧倒的な量を読む、書く・・・書写を含んで・・・という指導法、この頃少し軽んじられていはしまいか、と心配している・・・英語でも大切だ・・・(老婆心)。
[筆]石川啄木記念館館長 菅原壽 (陸前高田市出身)

11/Dec.Sun 2011 10:27 - - - - - - - - comments (x) : trackback (x) ↑↑↑PAGE UP
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